大判例

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東京高等裁判所 昭和53年(ネ)3161号 判決

控訴人

佐野正

控訴人

佐野かすゑ

右両名訴訟代理人

佐伯幸男

浅井利一

被控訴人

右代表者法務大臣

坂田道太

右指定代理人

平賀俊明

外六名

主文

一  原判決を括弧内のとおり変更する。

「1 被控訴人は控訴人らに対し各金一九五〇万一四八〇円及びうち一八〇〇万一四八〇円に対する昭和五二年一月一九日から、うち金一五〇万円に対する本判決確定の日の翌日から支払済まで各年五分の割合による金員を支払え。

2 控訴人らのその余の請求を棄却する。」

二  訴訟費用は、第一、二審とも被控訴人の負担とする。

事実《省略》

理由

一亡佐野義は、航空自衛隊員として、昭和四二年八月一一日、愛知県蒲郡市西浦町南方海上二キロメートルの地点において、航空自衛隊実験航空隊司令小川一佐の命令によつて実施された救難保命訓練に参加中死亡したこと、右訓練は落下傘離脱法、保命器機の使用法及び救出の訓練を目的とするものであつて、具体的には海上で漂流中の被訓練者をヘリコプターで吊り上げ、救難用の船(本件では巡視艇)付近まで運び、その付近海上に吊り降ろし、被訓練者は着水して吊り環から離脱後巡視艇まで自力で遊泳し、巡視艇に収容される動作に関するものであつたこと、ヘリコプターから被訓練者を吊り降ろす際、身体の痙攣、海水の飲み込みによる判断力の喪失又は服装による遊泳の困難等が原因となつて、被訓練者が海面下から浮き上がらない危険性があること、本件事故は、右訓練の一環として行われた救出訓練中に発生したものであること、義は、右訓練において被訓練者の一人として、いつたんヘリコプターに吊り上げられ、その後巡視艇から約一〇メートルの地点に吊り降ろされ、着水した後、自ら吊り環から脱し巡視艇に向つて泳ぎ始めたが、まもなく海中に没し、溺死したものであること、義は、死亡当時航空自衛隊実験航空隊に所属し、整備関係を担当する技官であり、国との間に雇傭関係があつたこと、本件救難保命訓練は、実験航空隊司令小川一佐の命令に基づき、国越二佐が訓練指揮官となり、国越二佐が現地において教官・救命装備隊を指揮して航空技術隊及び整備隊員に対して行つたものであり、右小川一佐及び国越二佐の行為は公権力の行使にあたる公務員の職務の執行であつたこと、義は、昭和一四年一二月三日出生し、昭和三三年三月高等学校を卒業後、航空自衛隊の技官に採用され、実験航空隊に所属し、航空機の整備を担当していたが、その間昭和三九年三月大学を卒業したこと、義は、死亡当時二七歳であり、国家公務員行政職俸給表の行(二)三等級七号俸の俸給(一ヶ月二万九三〇〇円)を受けていたこと、控訴人らは義の父及び母であること、以上の各事実については当事者間に争いがない。

二右事故についての被控訴人の責任について検討する。

前記争いがない事実に、〈証拠〉を総合すれば、次の事実を認めることができる。

1  本件訓練は、航空機が海上に不時着した場合等を想定しての救難保命訓練であり、当時毎年繰り返し実施されており、訓練対象者に対しては事前に訓練内容が告知されていたことから、義もその内容を十分知つていたのであり、また、本件事故当日も訓練に先だつてその内容の説明を受けていた。

2  本件訓練実施に関する命令が出された後、昭和四二年七月一二日頃、海上保命法についての座学が行われる一方、水泳訓練もしておくようにとの指示がなされ、義はそれに従つて、体育の授業は勿論、授業外においても隊内にあるプールで水泳訓練をするなど、本件訓練のための準備をしてきた。また、本件事故当日においても、被訓練者全員を集めて、水泳訓練が三時間程行われた。義の当時の水泳能力はプール中で一〇メートル程度であつたが、作業衣を着けて海上でどの位泳ぐ能力があるかは測定されていなかつた。

3  前記のように訓練前の事前教育は四回程実施されるなど、その実施に当たつては綿密な計画立案がなされ、救命道具も救命胴衣一八個、一人用浮舟一五個が用意された。しかし、当初の計画では被訓練者各人に一個あて配付される予定であつた救命胴衣は訓練参加申込者が二四名に増えたため、不足する事態となつた。そこで被訓練者をベテラン者と新参加者の二名あてのペアとし、新参加者に対しては必ず救命胴衣を配付できるように計画された。

4  義は、本件事故当日の午前九時頃から保命訓練の一部である落下傘海上離脱訓練に参加したが、前記のとおり被訓練者二四名に対し、救命胴衣が一八個しか準備されなかつたため、義とペアを組んだ訴外城二尉はパイロットとしてベテランであつたことから、今回が初めての訓練である義にのみ一人用浮舟と救命胴衣が支給され、同人は支給された救命胴衣を装着して、落下傘離脱法の訓練に入つた。

5  義と訴外城は午前九時二〇分頃それぞれ別の巡視艇から同時に飛び込み傘体離脱の後、義は支給された一人用浮舟を展開しそれに乗り込み洋上漂流し、他方、訴外城は救命胴衣も一人用浮舟も装備していなかつたため、義の浮舟の傍の海中で救助を待つていたが、二〇分ないし三〇分位すると体が冷えていたため、義に頼んで義からその装着していた救命胴衣を借り、身につけて漂流した。

6  その後午前一〇時頃、漂流中の隊員を吊り上げ救出する救出訓練を行うため、救助用ヘリコプターが義らの場所に飛来し、先ず海中にいた訴外城を吊り上げ救出し、停船中の巡視艇の近くの海上に同人を吊り降ろしたところ、同人は右巡視艇に泳ぎついて救助された。右巡視艇に乗船していた今田二等空尉は、城二尉が吊り降ろされる際救命胴衣をつけていたので、義から借りたものであることが分つた。続いてヘリコプターは、浮舟で漂流中の義を吊り上げたが、この時同人は夏の作業服上下と運動靴を着けており、救命胴衣は着けておらず、城二尉から救命胴衣の返還を受けていなかつた。吊り上げられた義は、ヘリコプター内において、メディック(救難降下員)前原良雄から吊り降ろしに必要な手順の説明を受けるとともに、ヘリコプター特有の騒音の中であつたが、「救命胴衣をつけていないが大丈夫か」などとジェスチャーまじりで尋ねられたのに対しても、同人はうなづいて大丈夫である旨を示したため、メディックは吊り降ろしの作業に入つた。

なお、ヘリコプターにも救命胴衣が存在したが、ヘリコプター塔乗員用のもので、訓練計画では用いることになつていなかつた。

7  機内でこうした説明等を受ける間も、義はメディックに不安を感じさせる態度を示さず、着水して吊り環から脱する手順も極めて冷静に沈着に行つた。

8  義は、巡視艇から約一〇メートルの海上に着水した後(計画では巡視艇から約五、六メートルの海上に着水することになつていた。)メディックに大丈夫との合図を送り、吊り環から脱し、救難用の巡視艇に向つて二、三回平泳ぎの格好で泳ぎ始めたものの、すぐに手を上げるようにして海中に没し始めた。

9  巡視艇上で異常を察知した訓練指揮官の命令で巡視艇にいた同僚二名が救助のため海に飛び込み、義の救助に向つたが、救助員が到達する前に義は沈んでしまい、救助することができなかつた。

10  義は、同日午後一時五三分頃、溺死体で発見された。

11  事故当日の天候及び海象状況は、雲低三、〇〇〇フィート、雲量一〇分の四、視程四マイル、風向三〇〇度、風速二ノット、海水温度二七度、風浪一で良好な状態であつた。被訓練者の吊り降ろしをするヘリコプターに巡視艇から連絡する通信機具はなかつたが、ヘリコプターは低空まで降りてくるので、巡視艇から右ヘリコプターに吊り降ろしを中止する合図を手ですることは可能であつた。

12  本件のような救難保命訓練が救命胴衣不足で行われた例はあるが、少ない。

以上の事実を認めることができるのであつて、本件救難保全訓練に当たつて、被訓練者が自己に支給されている救命胴衣を他の支給されていない者に貸与することを禁じられていなかつたことは、被控訴人の自認するところである。

他に右認定を左右するに足りる証拠はない。

三右事実によれば、本件事故の原因は、救命胴衣の数を超える人員を被訓練者とする訓練を計画、実施したこと及び義が救命胴衣を装着していないことを知りつつ同人を海上に吊り降ろしたことにあると解される。

そもそも本件救難保命訓練のような人命の危険を伴う訓練を計画、実施するに当たつては、訓練計画者は公務自体に内在する危険をあらかじめ予見して物的及び人的環境、条件を整備し、もつて事故の発生を未然に防止して公務員の生命、健康を危険から保護するよう配慮すべき義務があり、したがつて、本件のような訓練に当たつては、被訓練者全員につき生命、健康を保護するため遊泳能力に関係なく救命胴衣を装着させるべき義務があり(洋上漂流中、ペアを組んだ二名の被訓練者のうちの一名が救命胴衣及び一人用浮舟を装備し、他の一名がなんらの装備をしていない場合、前者が後者の依頼に応じて救命胴衣を貸与し自分の分がなくなることがあるのは当然予想されるところであるから、これを避けるためにも被訓練者の全員に救命胴衣を装着されるべきである。)、本件では救命胴衣の数以上の人員を訓練に参加させた計画自体及び救命胴衣を装着していない義を吊り降ろさせた点において右配慮に欠けていたものといわざるをえない。ヘリコプターからの吊り降ろしに当たつて、被訓練者が救命胴衣なしの吊り降ろしをメディックに了解したとしても、救命胴衣を装着させた上で訓練すべき被控訴人の義務を免除するものではない。

被控訴人は、本件事故の原因は、義が本件訓練に際し救命胴衣を支給されていたにもかかわらずこれを城二尉に貨与し、その返還を求めず、ヘリコプターから海上に吊り降ろされるに当たつてメディックから救命胴衣のない状態で大丈夫かどうか確認された際に拒否することなく自らの意思により救命胴衣のない状態での吊り降ろしを了解し吊り降ろされたことにある旨主張するが、義の右行為をもって計画者、実施者の責任を否定するものと考えることはできない。

したがつて、被控訴人の履行補助者である小川一佐、国越二佐が救命胴衣の数を超える人員を被訓練者として前記のような訓練を計画し、実施したのは、安全配慮義務に違反したものであり、本件事故はこれによつて発生したものというべく、被控訴人は右義務違反に基づく損害賠償責任を免れない。

ところで、被控訴人は、義が救命胴衣を支給されていたにもかかわらずこれを城二尉に任意貸与し、その返還を求めず、ヘリコプターから吊り降ろされるに当たつて、メディックから救命胴衣がない状態で大丈夫かどうか確認されたのにこれを拒否することなく、自らの意思により救命胴衣のないままの吊り降ろしを了解し吊り降ろされたことは義の過失であり、過失相殺すべきである旨主張するが、これらの事象はいずれも訓練中の特種な雰囲気の中で短時間内に生起したものであつて、ペアの間に指揮命令の関係はないとはいえ、義に対し、城二尉の救命胴衣貸与依頼を拒絶しあるいは適当な時機に救命胴衣の返還を求めることを期待すること、また、被訓練者の一員として吊り降ろしを拒否することを期待することは無理な状況にあつたといわざるをえず(義の敢闘精神は着目すべきである。)、さらに、義がプールにおいて一〇メートルの遊泳能力があつたことは前記のとおりであるから、同人が前記着衣のままでも海上で一〇メートル位は泳げるものと考えたとしてもこれを咎めることができず、以上の点を考慮すれば、被控訴人の債務の不履行に関し義に過失があつたものと認めることはできない。よつて、被控訴人の過失相殺の主張は採用することができない。

四そこで控訴人ら主張の損害額について検討する。

1  既に認定したとおり控訴人らが義の父及び母であることは当事者間に争いがない。

2(一)  逸失利益

請求原因4の(一)(1)の事実のうち義の生年月日及び年齢の点及び(2)の事実は当事者間に争いがない。本件事故がなければ、義は平均余命の範囲内で自衛隊内規及び慣例に従い少なくとも勧しよう定年の満六〇歳に達するまで三二年三か月にわたつて勤務し、別表第一〈省略〉記載「年間所得」欄記載のとおりの収益(右年間所得金額については当時者間に争いがない。)を得、定年時には別表第一記載のとおりの退職金(右退職金額については当時者間に争いがない。)を得たはずであること、更に定年後は再就職し、満六七歳に達するまで七年間にわたつて少なくとも一〇人から九九人までを雇傭する規模の民間会社に就労するものと推認でき、その間別表第二〈省略〉記載「年間所得」欄記載のとおりの収益(年間所得金額については当事者間に争いがない。)を毎年得られるものと推認できる。

そこで、独身であつた義の生活費を年間収益の五〇パーセントとしてこれを収益から控除し、右期間中各年間の逸失利益をライプニッツ式計算法により年五分の中間利息を控除して算出し、その総額を現価で算出すると、別表第二の総合計欄記載のとおりとなり計三三六六万四〇〇〇円(一〇〇〇未満切捨)となる。

(二)  慰謝料

当裁判所は、義の本件事故による死亡を慰謝するには義の年齢、事故の態様その他諸般の事情を考慮して五〇〇万円をもつて相当と認める。

(三)  相続

控訴人らは義の父及び母として義の逸失利益及び慰謝料合計額の二分の一である一九三三万二〇〇〇円の損害賠償請求権を相続した。

(四)  葬祭費

義の葬儀が控訴人ら両名の手によつて行われたことは弁論の全趣旨から認めることができ、右葬祭費として通常要すべき費用としては二〇万円を要したことは推認できる。

(五)  損害の填補

二八六万一〇一四円の損害の填補があつたことは当事者間に争いがない。

3  損害賠償金額

さきに認定した控訴人らが相続した亡義の逸失利益及び慰謝料に葬祭費の二分の一を加え、当事者間に争いがない損害賠償填補金額の二分の一あてを差引くと、控訴人各自が得た損害賠償請求金額は各一八〇〇万一四八〇円となる。

4  弁護士費用

控訴人らが弁護士である本件訴訟代理人に本訴の堤起、追行を委任したことは訴訟上明らかであるところ、本件事案の難易、その請求額及び認容額その他諸般の事情を考慮すると、本件事故と相当因果関係を有するものとして被控訴人に請求しうべき弁護士費用の額は各一五〇万円をもつて相当と認める。

五そうすると、控訴人らの本訴請求は各金一九五〇万一四八〇円及びこのうち弁護士費用を除いた各金一八〇〇万一四八〇円に対する訴状送達の日の翌日であることが記録上明らかな昭和五二年一月一九日から、弁護士費用である各金一五〇万円に対する本判決確定の日の翌日からそれぞれ支払済まで民法所定年五分の割合による遅延損害金の支払を求める限度において正当として認容し、その余は失当として棄却すべく、原判決中これと異なる部分は失当であり、本件控訴は一部理由がある。

よつて、原判決を主文一項括弧内のとおり変更し、訴訟費用の負担につき民事訴訟法九六条、八九条、九二条を適用し、仮執行宣言の申立については相当でないものと認めこれを却下し、主文のとおり判決する。

(川添萬夫 鎌田泰輝 相良甲子彦)

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